母校の父母向け広報誌に、今年5月からアフガンの記事を連載しています。4回連載予定。
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アフガン赴任まで
2001年9月11日、ニューヨーク同時多発テロ発生。
「ツインタワーと国防省に飛行機が突っ込んだよ!」
友人からそう電話がかかってきた瞬間をよく覚えている。まだJICAに転職する前のことだ。ちょうどオフィスを出て帰宅する途中だった。
同年10月、米国は同時多発テロをしかけたとするアル・カイダが潜伏するアフガニスタンへの爆撃を開始。そのわずか1月後にカブール陥落。
その7年後に自分が同国で援助の仕事にかかわることになるとは、当時思ってもみなかった。大学時代に難民問題に関心を持ち、勉強していたことから、歴史上最大規模の難民を出したアフガニスタンという国には以前から興味を持っていた。しかし2006年にJICAに転職し、2年も経たないうちにアフガン赴任を打診されたときは、正直びっくりした。
しかしJICAの緒方貞子理事長が以前、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のトップとしてアフガン難民支援に深くかかわっていたこともあり、アフガニスタンはJICAにとって注力国の一つ。組織として力を入れている国で仕事することにも魅力を感じた。
期待と不安を抱えながら、2008年1月17日、カブール空港に降り立った。それはカブールにあるアフガニスタン唯一の5つ星ホテル、セレナホテルが襲撃され、ノルウェーの外交官を含む8人の死者と6人の怪我人を出した事件から、わずか3日後のことだった。
アフガニスタンと日本の支援
こうしてカブールに来てから1年以上が過ぎた。私のここでの主な仕事は、農村開発、職業訓練、ジェンダー分野のプロジェクト実施や専門家の活動支援と、これらの分野における支援案件の形成である。それぞれの分野での支援内容については、次の回以降で紹介していこうと思うが、まずはこの国における日本の支援の全体像をご紹介したい。
日本がアフガン支援を本格的に開始したのは、タリバン政権が崩壊し、国際社会が復興支援の取り組みを開始した2002年はじめのことだ。2002年1月には東京で第1回アフガニスタン復興支援国際会議を開催し、緒方貞子氏が共同議長を務め、参加国から18億ドル以上のプレッジを取り付けるなど成果をあげた。JICAも2002年にカブール事務所を開設。援助重点地域をカブール州のほか北部バルフ州、東部ジャララバード州、そして南部カンダハル州とし、それぞれの州都に現地事務所を開設して支援体制を整えた。
ちなみにJICAがアフガニスタンを支援するのは今回が初めてではない。1970年代には東部で農業支援を行っていたことがある。日本の支援で稲作開発センターを建設し、いざJICAが日本人専門家を派遣し技術指導をしようという段階になったとき、1979年、社会主義革命の勃発に伴う混乱により支援を引き上げざるをえなくなったのである。JICAにとっては長い時を隔てての支援再開であった。
ただし今の日本政府による支援規模は、かつての支援とは比較にならないくらい大規模である。重点4分野(治安、インフラ、総合農村開発、保健医療・教育)に基づき、2001年から2008年末までに合計約1,600億円の支援を実施。日本の支援に対する認知度も高く、2008年に実施されたアジア財団(米国の財団)のアフガン人に対する意識調査によれば、「どの国が最も支援をしていると思うか」という問いに対し日本は米国、ドイツに次いで3位、「2番目に支援をしている国はどこだと思うか」という問いに対しては日本が2位であった。
JICAとアフガニスタン支援
なおこれらの支援をJICAが全て行ってきたわけではない。ちょっと固い話になるが、日本による政府開発援助(ODA)には大きく分けて「二国間贈与」「二国間政府貸付」「国際機関への出資・拠出」がある。このうちJICAは「二国間贈与」に含まれる「技術協力」を本来業務として行ってきた。「贈与」との名のとおり、「無償で技術協力を行いますよ」ということである。昨年10月に国際協力銀行 (JBIC)と統合したことにより、今では「二国間贈与」のもう一つの要素である「無償資金協力」の一部と、「二国間政府貸付」つまり円借款もJICAが実施することになったが、これまでのアフガン支援ではこうした日本政府による無償の支援(円借款は行われていない)、アフガンで活動する国際機関への拠出、そしてJICAによる技術協力が混然となって実施されている。
技術協力とは?
「ところで、技術協力って何?」と思われる方も多いと思う。確かに円借款や無償資金協力はその言葉から何となく内容が想像できるのに対し、技術協力はややイメージしにくい。
わかりやすく言えば、技術協力とは「途上国の社会・経済開発を担う人材を育成したり、自立発展に資する制度や組織の確立・整備を支援すること」である。たとえばアフガニスタンでいえば、各省庁が適切な年度予算計画を立てられるようにしたり、農業省が同国の自然環境に合った農業技術の開発・普及ができるようにしたり、教育省が効果的な教師教育を実施できるようにしたり、といったようなことである。通常の技術協力プロジェクトは途上国の行政官を対象とすることが多いが、よく知られている青年海外協力隊も技術協力の一部であり、隊員の活動の対象は学校の先生から農民まで幅広い(ちなみにアフガニスタンでは、協力隊は治安の関係で派遣されていない)。
こうした「人を通じた支援」は手間暇がかかるので、なかなか大規模に実施するのは難しいが、アフガニスタンにおいても着実に支援を続けている。2007年度までに同国で実施した技術協力プロジェクトは24件、日本や第三国での研修への参加者は1,308名にのぼる。現在は15のプロジェクトに約120人の日本人専門家がかかわっており、カブールを中心に常時40~60人の関係者が活動している(アフガニスタンに常駐している人とそうでない人がいるため) 。
こうした活動を支えるアフガニスタン・カブール事務所では日本人14名、アフガン人(ドライバーや庭師も含む)25名が働いている。北部マザリシャリフ事務所と東部ジャララバード事務所には日本人代表1名がいるが、南部カンダハル事務所には、治安の関係から日本人代表はおいていない。
「ポスト・セレナ世代」
「ポスト・セレナ世代(セレナ以降の世代)」― 私が赴任した2008年1月中旬以降にアフガニスタンに赴任した同僚や専門家を、私は勝手にこう呼んでいる。前述のとおり、1月14日にアフガニスタン唯一の5つ星ホテル、セレナホテルの襲撃事件が起きた。この事件を受けて行動規制が一段と厳しくなり、外食も、日用品の買い物も、一切が禁止されることになったのである。
セレナホテルの襲撃事件以降も、カブール市内では象徴的な事件が相次いだ。昨年4月の共産主義崩壊16周年記念式典でのカルザイ大統領暗殺未遂事件、7月のインド大使館自爆テロ、10月の情報文化省襲撃事件、今年1月のドイツ大使館前での自爆テロ等である。治安が改善しなければ行動規制も緩められない。ということで、私は赴任以来カブールのレストランで外食をしたことがない。当然、土産物屋に行ったこともない。つまり「ポスト・セレナ世代」とは、行動制限が厳しくなったために、カブールという街をあまり知らない人たち、ということになる。
ちなみに数年前は市内を自転車で通勤することができたくらい治安が良かった時代もあったそうで、「ポスト・セレナ世代」の私たちはそういう「古き(?)良き時代」の話をうらやましく思いながら聞いている。
加えて私たち事務所員、そして日本人専門家は移動も防弾車を使うことが義務付けられている。また宿舎はカブール市内の限られた場所に限定。また夜は門限があるほか、毎晩無線で安否確認を行っている。
ストレスマネジメントが鍵
こんな風に書くと「さぞかし危険なところで仕事をしてるんですね」と言われそうである。確かに自爆テロなどの事件は自分が通った道や行ったことのある場所で起きているので、運が悪ければ巻き込まれるという思いは常にある。しかし赴任前に抱いていたイメージと、実際に暮らしてみたイメージはやはり違う。確かに危険があるとはいえ、同じ街でアフガン人は通常の生活を送っており、人間らしい営みがあるのである。逆に忘れられがちなのは、精神面の重要性だ。行動の制約が大きく、ストレスの発散が難しい中で、いかにストレスを管理し精神的に健康でいるかというのは、アフガニスタンの援助関係者共通の課題ではないかと思う。
治安と復興支援
治安の悪化は、いろいろな面で復興支援にとって障害となっている。まず治安が悪いと、専門家のリクルートが難しくなる。危険を冒してもアフガニスタンで活動をしようという人の数は、どうしても限られてしまう。開発コンサルなどの企業も同様である。ちなみにアフガニスタンはJICAの活動国の中で唯一、外務省から「退避勧告」が出ていながらも特例措置により活動を継続している国だ。当然、一般の旅行者がアフガニスタン入りすることは勧められていない。
活動場所も制限されてくる。例えば南部のカンダハル州は、復興支援開始当初は日本人が活動することができたが、治安の悪化に伴い2006年6月にカブールに引き上げた。それ以来、カンダハルでのプロジェクトは現地のアフガン人スタッフに任せ、日本人専門家はカブールからの遠隔操作とせざるを得なくなった。当然、現地とのコミュニケーションが難しくなり、活動に支障が出る。
また活動を制限、ないしはストップせざるを得ないこともある。例えば昨年の夏は、治安悪化が懸念されたためカブールに滞在する日本人専門家の数を制限した。これはカブールをはじめとするアフガニスタン全土で治安維持活動を行っているISAF(国際治安部隊)が、昨年8月、カブール市における治安権限をアフガン警察に移譲することになり、このタイミングでカブール周辺に集結してきていると言われていたタリバンの活動が活発になると想定されたためである。支援は一定期間滞ってしまうが、日本人専門家の安全なしには支援も継続できないので、こうした対応をせざるを得ないのが現状である。
なお今年は8月に大統領選挙が予定されており、これに伴う治安の悪化が懸念されている。アフガニスタンに注目が集まるも、支援に影響が出る一年となりそうである。
オバマ新政権と日本
今年はオバマ氏が米国大統領に就任し、アフガニスタンでの「テロとの戦い」を最優先課題に挙げた。同盟国である日本も、どのような形でアフガニスタンを支援できるかが問われている。しかし自衛隊の派遣の是非が問われる一方で、JICAが実施しているような支援はあまり知られていない。また「アフガニスタン=タリバン、アル・カイダ」という連想はされるものの、アフガニスタンの一般の人々がどのような暮らしをしているのか、という情報はメディアであまり伝えられてないように思う。次回以降、数回にわたり、仕事をかかわった人々との交流を通じて見た今のアフガニスタンの様子について、お伝えしていきたい。