UNDAC Induction Course - Day 10 & 11(9/26-27) 恐るべきシミュレーションエクササイズ
The UNDAC Equipment System
UNDACにはUNDACの活動をサポートするSupport Moduleというものがある。
たとえばITもその一つだ。UNDACの活動に必要なIT・通信機器と、それを使える人材がセットになったのがSupport Moduleである。このモジュールはAPHP(Asia Pacific Humanitarian Partnership), IHP (International Humanitarian Partnership)の加盟国や、Map ActionやTSF(Telephones Sans Frontiers)といった NGOから提供・派遣されている。ちなみに今回の研修はノルウェーのICT Support Module経験のある人たちが講師としてきていた。午後のセッションは彼らが担当だった。確かきんえん隊のオフィスにもSupport Moduleの機材はあったはずである。まだ活用されたことはまだないはずだけれど。
Handover and Exit Strategy
3週間のUNDACミッションの引継ぎについてのセッション。
引継ぎは現地政府、現地UNDP、OCHA、その他関係機関に行うわけだが、誰に何を引き継ぐのか、できるだけ早い段階で検討し始めることが大事であるとのことだった。そうした説明のあと、グループワークで引継ぎ戦略、プランを作成した。引継ぎ先の特定からコンタクトリストの作成、引継ぎ書・最終報告書の作成、UNDACの活動に貢献してくれた人への感謝状、機材の廃棄・寄贈、RCやUNDRTへの報告・・・と挙げればきりがないが、この一連のアクションアイテムはJDR医療チームの活動フローと酷似しており、自分もジョグジャカルタの地震で経験していたので、すんなり頭に入ってきた。
Practical Establishment of OSOCC
OSOCC(On-site Operation & Coordination Center)を立ち上げるというグループワーク。
4つのグループに分かれ、仮想の国で発生した地震に対しUNDACが派遣されてOSOCCを立ち上げるという設定で、どこにOSOCCを立ち上げるかを決めることから始まって、被災状況情報をもとに、各国からやってくるレスキューチームを、それぞれのキャパシティに応じてどのように振り分けるかを体験した。
最初にもらった災害情報も、その後のコーディネーションミーティングでアップデートされ、随時変わっていく。実際の状況もそうであることは想像に難くないけれど、ついつい与えられた情報に頼って作業を進めてしまっている自分に気づき、はっとした。たとえば今もっている情報では震源地より遠い地域の方が死傷者数が多いけれど、震源地により近い地域の方が死傷者数が多くて、通信が途絶えているために情報が入っていないだけという可能性も考えられる。そういうことを常に頭に入れながら行動しなきゃいけないんだと思った。そういうことを考慮に入れた上で、はじめてレスキューチームの適切な割り振りが可能になる。
結局私たちのグループは、空港と震源地に近い地域の2箇所にOSOCCを立ち上げることにした。シミュレーションは昨年のパキスタン地震の情報をもとにしているのか、日本のJDRチームも派遣される6カ国の中に入っていて、ちょっと嬉しかった。ただロシアやスイスのチームに比べて人数と装備が小規模だったので、勝手にmediumに分類してしまったけど。でもこのエクササイズを通じて、レスキューチームのキャパシティを分類することの意義を理解できた気がする。
Satellite Phone & Wave Mail
衛星電話の使い方と、UNDACが使用するメールソフト(WebMail)に関するテクニカルセッション。昨日同様の小さなグループに分かれた。Iridium, Thuraya, Inmalsat、そしてWebMailに関する基本的な事柄について説明を受けたあと、研修施設の屋上に出て(窓から出たのでまるで泥棒みたいだった)実際にインマルサットを接続し、WebMailを起動して使ってみたのだけれど、私の使ったコンピュータではソフトの不具合か何かで送信できなかった。残念。
ちなみに何故OutlookやOutlook Expressのようなソフトを使わないのかと聞いたら(MSの回し者ではありません!)、WebMailは(プログラムが)軽くて、送るメールも軽いので、通信状況があまりよくない被災地向きだということだった。ごもっとも。
Radio Communication
無線機の使用についてのセッション。
一人一台もって屋外に出たものの、無線機のプロシージャーについて知らない人がいたので、一旦部屋に戻って練習した後、再度外に出る。
英語による無線機のやりとりには一定のプロシージャーがある。たとえば、メッセージを伝えたい相手の名前を最初に呼び、次に自分の名前を言い、用件を伝えた後、回答が必要ならover, 必要なければoutと言う、といった具合である。できるだけ簡潔な言葉でやりとりするために、回答もAffirmative、Will Comply(了解し、言われたとおり実行する)、Negative、など一定の用語に使用を限定している。
また名前も、本人の名前ではなく、グループ名がCharlieならメンバーはCharie1, Charie2, Charie3・・・といった具合で割り振られる。よく誰がCharlie何番かわからなくなることがあったけれど、慣れるとこっちの呼び方の方が機能的に感じた。ちなみに全てのアルファベットには決まった読み方があり、AはAlpha, BはBravo, CはCharlie・・・といった具合である。国際機関によってどのアルファベットをグループ名に使うか決まっているらしい。またこのアルファベットは、無線機でスペリングを説明するときにも用いられる。たとえば「Echo, Guru, Guru」は「EGG」だ。国・人によって引用するアルファベットが違うと、その国特有のアクセント・発音などから誤解が生じる可能性もあるため、統一したのだろう。
この無線機は、8月のRedR研修で毎朝使っていた経験が役に立った。研修を受けていなかったらスムーズについていかなかったかもしれない。よかったよかった。
怪しげな地震情報
夕方4時ごろだったろうか、セッションの合間の休憩時間にOCHAの人が怪しげな紙をびら撒いた。見るとそれはGDACS(地震情報を提供しているWebサイトで緊急援助関係者も活用している)の情報で、本日夕方4時ごろアジアのどこか(緯度と経度がちゃんと書いてあった)を震源としたマグニチュード7.4?の地震が発生したとあった。しかし被災国の名前はJulianoとある。どこだ、そりゃ。仮想の災害・国であることは想定できたものの、その時は特に深く考えず紙切れをしまってしまった。それがその夜から始まる惨劇?の始まりと気づいたのは数時間後のこと・・・。
SIMEX Briefing
夜8時半、翌日のSIMEXのブリーフィングのため全員がミーティングルームに集合した。SIMEXとはSimulation Exerciseのこと。UNDACの一連の派遣シミュレーションである。しかしこのブリーフィングまでに、このSIMEXが必ずしも「翌日」から始まるものでないことに気づいていた。昨年のUNDAC Induction Course参加者から、「深夜にたたき起こされて、それから派遣シミュレーションが始まった」と聞かされていたからだ。思い出してみれば例の仮想国での地震情報はその暗示でなかったか。ただスケジュール上ではあくまで明日がSIMEXとなっている。
説明が始まった。SIMEXの目的は個人のスキルアップを図ったりロジスティクスの重要性を理解したりするものであって、チームを競争させるものではないこと、全ては実際にあった出来事に基づいていること、またエクササイズの範囲としてはUSARの受け入れから最後のディブリーフィングまでであることや、各チームにUSAR・Reliefそれぞれのフェーズにおいてサポートスタッフがつくことなどの説明があった。”Practice, Learn & Have fun!”とも。
そしてOCHAからUNDACメンバーに送られるM1メッセージが配布された。派遣の意思を確認するメッセージである。これに対し、名前や参加の意思など必要事項を記入して、「FAX(=今回は単にOCHAスタッフに提出!)」する。次はM2メッセージが配布される。派遣が決定したメンバーに送られるもので、これにサインをして「返信」する。
この後ようやくグループメンバーの発表だ。要はM2メッセージへの返答が確認された時点でメンバー確定なので、このような時点で発表したのだろう。チームはAlpha, Bravo, Charlieの3つ。私はCのCharlieだった。チームリーダー・サブリーダーはあらかじめ決まっており、OCHA関係者か元OCHA関係者である。私のチームのリーダーは元OCHAのAndrew、サブはOCHAで広報担当をしているAmandaだった。ここで席を移動し、チームに分かれて座る。他のチームは記念撮影をしているところもあったが、私は「これからチーム内で何が起こるかわからないのにねぇ・・・」と横で苦笑いしながら見ていた。
参加者全員の前で、3人のグループリーダー&被災国Resident Coordinatorのちょっとおかしなミーティング・シミュレーションが終わったあと、被災国の国情報がグループに渡される。被災国Juliaonは人口150万、多民族国家で、言語は韓国語に似た言語(笑)、フランスの影響を強く受けている・・・国は貧しく国民の多くは栄養失調、教育水準も低い。国民の70%が30歳以下である、等など。かなり詳細に「作りこんで」あるので感心してしまったが、渡された地図をみると疑いもなくスイスの地図をいじったものである。ほとんどの地名が変わっているものの、ローザンヌとか書いてあるのが見える。どうりで言語が「フランスの影響を受けている」はずである(笑)。
ここでスケジュールの発表。深夜0時半に、チームごとに研修所玄関に荷物を持って集合とのこと。それまでの時間は各グループで自由に使ってよい。時すでに22時過ぎ。なるべく休めと言われたが、出発前にグループで決めておかなければならないことが色々あるので、どのグループもしばらく会議室に残って調整している。
わがグループCharlieは、グループ内で国情報をシェアしているうちに、AndrewとAmandaがグループメンバーの役割分担を決めた。Information Management=OCHAのアマンダ、Logistics=WFPのポール、Government/Civil-Military Coordination=IFRCのアルベルトにフィリピンのテス、Coordination & Assessment=UNICEFのシャイローズにイランRed Crescentの2人、NGO CoordinationがUNEPのポールにフィジーのジョージ、そしてAdministration & Info Management Supportが私だった。
最初の宿題として、それぞれの担当が(1)被災国についてから最初にRCにしたい質問(2)被災国で最初に会いたい関係者 をリストアップした。Administrationの私は、(1)OSOCCのアドミニストレーションをサポートしてくれる組織・人は誰なのか、(2)UNDPのAdmin Officer(通常UNDACのカウンターパートでアドミ補佐をしてくれる)を挙げた。
また必要な機材(無線、GPS、パソコン、プリンタなど)も一式グループごとに渡され、自分が管理することになった。早速個数を数える。
グループは22半時ごろ一旦解散。パスポートとオサイフを忘れないように、と示し合わせた。私は部屋に戻ってシャワーを浴びたが、色々確認しておきたいことがあったので結局眠らずに集合時間の0時20分(余裕をもって10分前集合!)を迎えた。
そこでUNDACの文字と国連のシンボルマークが入ったライトブルーのシャツを渡され、皆着替える。同時に、Juliano行きのボーディングパス(!)を渡される。パスにはPenguin Airlineと書いてあり、ご丁寧にペンギンのイラストまで入っている。このペンギン、どっかで見たことある、と思ったらLinuxのペンギンだった・・・。
さすがにボーディングパスはニセモノだが、SIMEX会場はてっきり研修会場か、研修会場近くの施設とばかり思い込んでいた。ところがどっこい、大違い。「ボーディングパス」とパスポートを見せて乗り込んだバスは、延々30分以上も走り続けてどこか遠いところへ連れて行く。バスの中では早速ミーティングだ。それぞれの担当が目的地に着いた直後に何をするのか述べる。私は空港でのレセプションセンターの立ち上げだ。システム周りのセットアップを行う必要がある。
ようやく着いた場所は、高陽市からも離れたどこかの施設。最初の印象は「市役所か、そうでなければ何らかの公共施設かな?」だった。施設内部の駐車場で降ろされたので、施設の全体像は判然としない。裏口のようなところから中に入る。すると、そこで待ち受けていたのは入国審査だ。長い通路の奥に長机が置いてあって、そこにOCHAのArjunとジュゥイーが座っている。思わず噴出しそうになってしまったのは、二人ともサングラスに軍服といういでたちだったことだ。Ardjunは将校みたいな制服に、それに似合う帽子なんかもかぶっている。それが結構似合っているのでなおさら笑いがこみ上げた。しかし二人は真剣そのもので、ほかにもミリタリールックの警備役2人(ノルウェーのSupport Moduleの人たちだった)が私たちを威嚇し、廊下の脇に整列させた。
一人ひとりが審査を受ける。イギリス人のメンバーが先に呼ばれ、アメリカと共謀してイラクを攻撃したことを責め立てる。UNDACで来た、といっても「そんなのは聞いていない」といって取り合わない。最終的にイギリス人は列の一番最後に戻されてしまった。他のメンバーを待っていたのは「何故ビザがないんだ。事前に取得が必要なのは知っているだろう」という攻撃。挙句の果てにワイロまがいのVisa料金を請求し、これが支払えないなら入国させんの一点張り。お財布を持ってきていなかったフィジーのジョージは早速列の最後に戻された。
私の順番がやってきた。やっぱり同じ質問―なぜビザを取得していないのかーをされる。しょうがないじゃない、といいたいところだがそうもいかない。仕方なく「急いできたのでビザを取得する時間がなかった。入国時にビザが取得できると国連から聞いたが・・・」と適当なことを言ったら「No!」と完全に否定された挙句、「カネを払うならいい」。「領収書をもらえるなら」と返すと、「日本人は金持ちだから50,000ウォン(約5000円)」と言われる始末。人によって金額が異なるのである。しぶしぶ50,000ウォン支払って領収書を受け取る。
その後続いた税関はさらにひどかった。OCHAのスタッフが4,5人長机の前に控えていて、荷物検査をするので机に荷物を置き、靴も脱げという。言われたとおりにすると、今度は廊下の壁側に向けといわれ、金属探知機の「ようなもの」でボディチェックをさせられる。終わって振り向くと・・・そこにはワナが。税関職員役のOCHAスタッフが、開けられた私のカバンを指差しつつ、「これはなんですか!」。なんと彼女の手にはコンドームが。「わが国にはインモラルな物品の持込は禁止されているのはご存知でしょう」。しまった、やられた!と思ったときには既に時遅し。必死で否定するも、証拠写真を撮ると言われてカメラをパシャリ。ひ、ひどい・・・。おまけに机においた自分の上着まで、「被災時の混乱に乗じた浮浪者」に盗まれる始末。文句を言うと、「今この国は混乱しているので、盗人が増えているんです。お詫びの印にキャンディをどうぞ」。シミュレーションとはわかっているものの、あまりの設定にしばし唖然としているうちに、Detention Room(隔離室)に放り込まれ、バタン。そこには既に同じグループの人が2人放り込まれていて、同じ罪状をなすりつけられたり靴を盗まれたりしたと言っていた。その後も2人ほど部屋に放り込まれてきたが、国際機関で働く人の中には、実際に空港で似たような経験をしたことがある人もいて、その時の経験話をしてくれた。
10分ほどしてようやく隔離室から解放される。空港でのシミュレーションは一旦オーバー。盗まれたものや支払ったワイロ?を戻してもらう。よかった、よかった。荷物を持って2Fにエレベーターで上がると、そこには比較的広いスペースがあり、その一角の出入り口から施設のさらなる「内部」が目に飛び込んできて、ようやくこの施設が何の施設なのか理解した。サッカースタジアムである。薄暗いライトに照らされた巨大なサッカースタジアムの観客席とグラウンドがその出入り口から見えたのだ。ひええ・・・ここで夕方までシミュレーションかぁ・・・。
楕円形のグラウンドには3つのテントが離して建てられており、それが被災国で立ち上げたOSOCCという設定だった。チーム一つにつき一つのテントである。暗い夜空の下、灯りのともったテントの中で、私たちはせかせかと動き回る。時に、深夜1時過ぎ。やや雨もぱらついていた。
それから朝8時ごろまでは「Relief Phase(救援フェーズ)」である。各国から訪れるUSAR、レスキューチームの受け入れと調整がメインの仕事となる。私は空港(スタジアムの施設内部。最初に入国審査や税関をやったところ)でのレセプションを立ち上げた後、OSOCCに呼び戻され、そこで通信周りの環境を整えたり、必要な資料をそろえたりした。Grooveもこの機会にと思って早速活用した(モジュールに入っていたPCは2台のみだったけれど)。しかし無線LANが入っているとはいうものの、しょっちゅう切れてしまう。結局最初から最後までネットワークの不安定さには悩まされた。
7時間あまり救援フェーズが続いたわけだけれど、その間いろいろなことが起こりすぎて、7時間はいつの間にか過ぎてしまった。空港のレセプションには各国からのUSARが到着し、その情報がひっきりなしにOSOCCの無線機から入ってきて、私もその対応に追われた。情報を書き留めるだけでなく、「被災情報を教えてほしい」「ここ10日間の天気情報を教えてほしい」などのリクエストも来るので、わかる範囲で応答しなければならない。後で、もっとフレキシブルに、たとえば天気情報なんかは適当にでっちあげても良かったと思ったが(実際の現場ではそうはいかないが)、真面目に韓国の天気予報をWebで調べて回答したりした。OSOCCからは早い段階でアセスメントチームが出発し、1時間以上してようやく戻り、被災状況を共有。その情報をもとに各国のUSARチームとのミーティングを開き、どの国がどの被災地を担当するかを決めた。テント内には被災状況や対応状況を示す地図や資料がどんどん貼られていった。Situation Report #1も作成され、WebMailを使って関係者に提出された。
気づくと空が明るくなっていた。このスタジアムは一般に開放されているらしく、早朝からトラックを走る韓国人がちらほらと見え始めた。恐らく、韓国の人たちに、テントの中で緊迫したムードでやりとりしている国籍豊かな私たちの様子は一種異様に見えたことだろう。みなフシギそうな顔をしてテントの中の私たちを横目で見ながら走っていく。そんな韓国人ランナーに笑顔を見せる余裕もない。ひたすら、眠い・・・。
8時半頃だったろうか、前半(=救援フェーズ)終了ということで、一旦全員がスタジアム一角の客席に集まった。OCHAスタッフから講評があり、参加者からもコメントがあったが、猛烈な眠気に襲われて何を言われたか覚えていない。とにかく覚えているのは、これでRelief Phaseが終わり、次のAssistance Phase(援助フェーズ)に入ったということだった。
Assistanceフェーズでは、USARに続いて入ってくる各国政府・国際機関・NGOによる支援を調整する。一口に支援といっても医療からWATSAN(水・衛星)、食糧、テント・毛布などのnon-foodアイテムなど様々である。これらの支援がどこの地域で行われているかを把握し、地域的、分野的なギャップが生じていないかをチェックするのがUNDACの役目である。早速支援に関する情報がチームリーダーを通じて配布され、メンバー間で共有する。その情報を地図情報に反映させるのが私のタスクとなった。地図はMap Actionが作成してくれるのだが、作成に必要な支援情報を資料から抽出して整理するのである。
実際の現場でもそうなのだろうが、このフェーズでは特に外部での会議が多くて、AndrewをはじめAmandaも途中からずっと出払っていた。当然、Adminの私はずっとOSOCCにスタンバイである。作業に集中できると思いきや、ところがどっこい、訪問者の多いこと多いこと。人権団体のNGOと称する人からUNHCRのオフィサー、軍の関係者までひっきりなしにOSOCCを訪れ、その対応に追われて自分の作業に集中するヒマもない。おまけにOSOCCに残っているのがイラン人、フィジー人、日本人の私という組み合わせになると、なぜか私に対応のオハチがまわってくる。イランはともかく、フィジーの公用語は英語でしょ!と内心ムカっとしつつも、仕方がないので対応する。
Assistanceフェーズでは、実際のエクササイズよりも、こうした「異文化コミュニケーション」からくる精神的ストレスの方が大きかった。これは同じグループの欧米人メンバーも同じだったと思う。イランの2人はそもそも英語によるコミュニケーションに難があって、途中から結構勝手なことをやってAndrewやWFPのポールをイライラさせていたし、本来いるべきところにおらず勝手に動き回っている人や、本来アサインされたことをやっておらず、Andrewが叱りつけていることもあった(ちなみにAndrewは自分でも認める短気である)。私も、支援状況地図を作成するために2人の手を借りたものの、かなり細かく「こういうフォーマットで情報を抽出して欲しい」と言ったにもかかわらず、出てきたのは全く異なるもので、結局イチから自分でやりなおすハメになった。 自分が作業をしているときも、それを覗き込むばかりで手伝おうとしない。手伝い方がわからないのかもしれない。ただ他にやることがないか、自分で考えて動こうとしないのである。これには参った。どうも国によって、「グループに貢献したいという感情」の持ち方が異なるらしい、という結論に私は落ち着いた。その違いが大きなストレスになるということも・・・。
途中で眠気に耐えられなくなり、他の人がしていたように、私もテントの端っこにゴロンと横になった。もちろん布団も何もない。誰かのカバンが枕代わりである。生まれて初めて、シートが引いてあるだけのテントの中で寝るという経験をしたが、恐らく寝たのは数分だけ。でも意外と深く眠れたのか、その後はあまり眠くならなかった。
Virtual OSOCC (緊急援助関係者が使用するWeb上の掲示板。支援情報が書き込まれる)の情報を確認したり、書き込んだり、入手した情報をメンバーに配布したり、援助関係者を集めたミーティングを開催したりしながら時間が過ぎていった。正直、かなり疲れていたので、しばしば時計を見ながら「早く終わらないかなぁ・・・」と思っていた。夕方、シミュレーションは終わりに近づく。UNDACミッションの撤収時期だ。つい昨日のセッションで学んだばかりのhanding over strategyをUNICEFのシャイローズがまとめる。そしてミッション終了。 私はVirtual OSOCCに Charlieは引継ぎが終了しミッション終了、と書き込んだ。
その後チーム内での簡単な反省会。それから全員が
またスタジアム一角の客席に集まり、参加者が感想を述べたりOCHAスタッフの講評を聞いたりした。その後スタジアムの総責任者が挨拶。体力の限界に近づいていて話に集中できない。が、次の瞬間みなが右上を見上げた。なんだろう、と思って同じ方向を見ると、視線の先には巨大スクリーンが。そこに「Good Bye Ex SIMEX A/P UNDAC Induction Course 2006」の文字が。みな、わっと盛り上がって拍手した。ちなみに、バスがこのスタジアムに着いたときもこの電光掲示板は「Welcome to Ex SIMEX A/P UNDAC Induction Course 2006」という文字を表示していたらしい。
スタジアムを出るときに、韓国NEMAでInternational Program CoordinatorをしているMr. Kimが「これでキミもUNDACの一員だね。おめでとう」と握手してくれたけど、なんとなく消化不良の感もあったのであいまいに笑顔を返すことしかできなかった。 宿泊施設に帰ったあとは、とりあえずご飯を食べて、夜8時にはベッドでバタン、キュウ。おやすみなさい・・・
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